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般若心経 完全マスター バイブル 目 次 |
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■般若心経の各「語義」を詳しく解説しています■
(どこよりも詳しく! ほんまもんの「本覚思想」を伝授します。
そして、般若心経の奥義 「一大曼陀羅観」をも伝授します。)
(0)般若心経の全体像(大意) (1)般若心経のサンスクリット語版 のタイトルについて (2)般若 の意味 (3)波羅蜜多 の意味 (4)心経 の「心」 の意味 (5)観自在菩薩 の意味 (6)行 深般若波羅蜜多 時 の意味 (7)照見 の意味 (8)五蘊 の意味 (9)皆空 の意味 (10)度一切苦厄 の意味 (11)イハ(梵語) の意味 (12)舎利子 の意味 (13)色 の意味 (14)受 の意味 (15)想 の意味 (16)行 の意味 ★↑「諸行無常」の意味(こちら) (17)識 の意味 (18)亦復如是 の意味 (19)是 の意味 (20)諸法 の意味 (21)空相 の意味 (22)不生不滅 の意味 (23)不垢不浄 の意味 (24)不増不減 の意味 |
(25)是故空中 の意味 (26)無色 無受想行識 の意味 (27)無眼耳鼻舌身意 の意味 (28)無色声香味触法 の意味 (29)無眼界 乃至 無意識界 の意味 (30)無無明 亦無無明尽 (十二因縁)の意味 (31)乃至無老死 亦無老死尽(十二因縁) の意味 ★仏教の「因縁(起)」の深い意味は別の箇所(ここ)です。 (32)無苦集滅道(四諦) の意味 (33)無智亦無得 の意味 〜〜(注意)ここで一旦、文章は切れます!〜〜 (34)以無所得故 の意味 (35)菩提薩捶の梵語原文 の意味 (36)依般若波羅蜜故 の意味 (37)心無●(ケイ)礙 の意味 (38)無●(ケイ)礙故 の意味 (39)無有恐怖 遠離〔一切〕顛倒夢想 の意味 (40)究竟涅槃 の意味 (41)三世諸仏 の意味 (42)得阿耨多羅三貘三菩提 の意味 (43)故知 の意味 (44)般若波羅蜜多 是大神咒 の意味 (45)是大明咒 是無上咒 是無等等咒 の意味 (46)能除一切苦 の意味 (47)真実不虚故 の意味 (48)説般若波羅蜜多咒 の意味 (49)即説咒曰 の意味 (50)掲帝 掲帝 波羅掲帝 波羅僧掲帝 菩提僧莎訶 の意味 (51)梵語原文の締めくくりの言葉 の意味 |
| ★ローマナイズ・サンスクリット語版般若心経を読みながら原文の訳を考えたい人は「こちら」です。 ★般若心経の<真髄和訳>を読誦しながら瞑想して、実際に煩悩を鎮静させたい方は「こちら」です。 |
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★ 上記の瞑想法については、詳しくは、こちらを御覧下さい。
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| 【「自性」という仏教専門用語を色々な角度からの「内容意訳」を試みています】 内容意訳の履歴です ●「自性」 ⇒ 独立主宰者性 ●「自性」 ⇒ 完全独立・無依存主宰者性 ●「自性」 ⇒ 完全自由・独立無依存・オーナー性 ●「自性」 ⇒ 完全自主独立・活動本体性 ●「自性」 ⇒ 真主体性 ●「自性」 ⇒ 独立不滅の我性 ●「自性」 ⇒ 常恒不滅の活動主宰者性 ●「自性」 ⇒ 恣意的な選択活動自由性 ●「自性」 ⇒ 恣意的選択活動自由性がない受動的なもの ●「自性」 ⇒ 実在的主体性 (←最新の内容意訳) こういう意味の「自性が無いこと」が、「無自性」ということです。 |
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心経マスターバイブル 前篇 第一章 第四節 <般若心経の全体像>(前−1−6)前項で見た「本覚思想」は、インドのウパニシャッド哲学の不二一元論と軌を同じくする、同流の思想と言えます。 インドのアドワイタ(不二一元)哲学では、 ●「不二の絶対界」の現れ(=顕現物)が「二元的な相対界」であると見ます。 ですから、逆に、 ●「相対界」は、「絶対界」から発生した「顕現物=マ−ヤ−(幻影)」だと見ます。
−−−これこそが、般若心経が語っている世界観であり、『般若心経の全体像』です! |
般若宗の5大特長 (Pleaseクリック)
≪般若宗の11の特徴≫(Pleaseクリック)
■■■1分間で直観する「色即是空」の意味、超入門講座■■■ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 「相応部経典 無常」にある釈尊仏陀の名言を最初に一つ。 「比丘たちよ、色(肉体)は無常である。無常であるから苦である。 苦であるから無我である。無我であるから、これはわが所有にあらず、我にあらず、またわが本体でもない・・・」 スッタニパータには、「過ぎ去るものは虚妄なるものである」 という言葉もあります。 これで分かる通り、肉体としての「色」を、貴方自身の所有 と思い込んでいるとしたら、それは真理認識とは違います。 貴方自身がその肉体のオーナー(所有者)である、とか 貴方自身がその肉体の「主宰者」である、とか このように思い込むことを 仏教では ヴィパルヤーサーティ(転倒した見方) と呼びます。 ここで、イエズス・キリストの名言を一つ。 「神のものは神に返しなさい。」 「肉体」の各部分としての「ルーパ(色)=物質」それ自体は、 その物質のオーナー(所有者) ではありません。 「色」自体単独で見ると「オーナー欠如状態」なのです。 つまり、 「肉体」自体は、命令を受けて動く 「道具」に過ぎないので 「から(空)」の存在です。 物質それ自体には、オーナー(所有者・意志者)としての 「我(アートマン)=主宰者」 が不在(無我) なのです。 各存在物を試験管の中に入れて分析してみて、 ★★「その存在物の中に主宰者(そのオーナー)不在であれば」★★ その存在物には「自性がない」 と、大乗仏教では称します! 詳しい解説はこの下を御覧下さい。 人間は5要素が単に組合わさってできている だからこれを「空」という、と「一面的に」解説しているだけの そういう寺院や僧侶を信用すべきでは ありません。 彼らは相対界の「両面性」、もっと言えば 梵語原文にある『三段階に進化(深化)する空観』 をちゃんと解説できないまま空を説いている そういう浅墓な僧侶だからです。 彼らは深い事柄が何もわかっていないまま、 したり顔で法を説き、 密教的・般若宗的・アドワイタ哲学的な一大曼陀羅観を 批判しているだけなのです。 |
★★★3分間で直観する「我見」の意味、仏教奥義・超入門講座★★★ メルマガ第6号(クリック) |
★注意★ 無神論の方は、残念ながら、般若心経を真に理解することは不可能です。 何故なら、「神がそれをお許しにならない」からです。ですから、 無神論の方々は、まず「超越神の存在に、回心して目覚める」ステップを 経るようにして下さい。 当サイトは、そのあとで御覧下さい。 ●無神論者が仏教を説くと、次の2つの特徴が出ます。 (1)その人の「瞑想力」は、可哀相なほど微弱。 (2)口先だけの机上の空論、即ち「戯論」という無駄・無益な論述 に終始する。 (理由)(1)真の瞑想は神を瞑想するものなので、 無神論だと正しい瞑想は当然不可能! (2)相対する正反対の2対、認識の相対性を超脱した「不二」を、 無神論のまま想定すると、 その「不二」自体が仮構・虚構つまり「戯論」になってしまう矛盾 に陥ることが不可避となり、畢竟(ひっきょう)、 「言行不一致の口先人間」として「空」を論じるだけの人間 になってしまう。 それゆえ、仏陀(釈尊)は信仰心のない無神論者を相手にすることなく・・・ |
■■■<超お勧め>メルマガ第四号『Who am I? の真義(初級実践篇)■■■(クリック) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 〜〜〜〜【 3分間でわかる 叡智のヨーガ 入門講座 】〜〜〜〜〜〜〜 ■ 叡智のヨーガを実際に実行したい人に、一つの課題を与えましょう。 ≪それについての「活動の本体」を見極めよ≫ または、 <それについて「主宰者性」があるかないかを見極めよ> または <対象とする存在物それ自体に、恣意的な選択活動自由性、そのような、自己の選択と意思で自由に活動する性質があるかないか、見極めよ。> と。 これが叡智のヨーガ行者に与えられる 「たった一つの修行課題」 です。 この 「たった一つの課題」 を見事に見極め切った人は、 全人類から尊敬される「悟った聖者」に成れます。 人間を卒業し、神人、即身成仏者となります。 えっ、そんなに簡単なの? と思われる方へ−−− いえいえ、この課題は単純ですが、その実践は、 そんなに容易ではないのです。だからこそ、地道な修行が必要ですし、 極めて精妙な行法なので、霊的にハイ・レベルの人以外、上手に実践 することはできない、と言えます。 (霊的にハイ・レベルではない人のためには、「観音様信仰」という礼拝法が有りますから、安心して下さい。「観音経」など参照して下さい。また、阿弥陀仏信仰でも結構です。「煩悩熾烈な末法の凡夫には念仏行」と昔から言われている通り、念仏修行は、煩悩を鎮める、最も手軽で効果的な行法です。) ■ 色々なものを観察して、「活動しているもの」を凝視します。そして−− ≪ これは 「活動の本体」(独立の主宰者) であろうか? ≫ <これには、「恣意的な選択活動自由性」があるだろうか?> という疑問を抱き、あなたの洞察力を全開にします。 ■ 「風車(かざぐるま)」を例に取りましょう。 風車の羽はくるくる回って活動しています。その羽を見つめて、 これは、「活動の本体」だろうか? これには、「恣意的な選択活動自由性が本来的に備わっていて、それ故に回転しているのであろうか? と、思索します。深く思索します。「活動エネルギー」の「源泉分析」を行う、 と言っても良いでしょう。 風車の羽をまわしている原因は、風。 その風を起こしている原因は、大気の熱の変化。 太陽の光熱、地球の自転、などなど。 このような思索の仕方を仏教では 「その縁起を思惟する」 と言います。「縁起」とは「因縁起」の略語です。「因縁によって生起すること」を意味します。 (注意) 「活動性に関する縁起」(それが生起する縁) について 今、考えました。 しかし、インド仏教哲学では、もっと突っ込んで、 「存在の生起(発生)に関する縁起」 を考えて、それを瞑想して行きます。 |
| 〜〜〜(予備校のスーパー講師のような) 本当にわかるからこそできる〜〜〜 【 3分間で わかる 「自性」概念 入門講座 】 ■ 「自性」という言葉を 漢訳漢字にとらわれて、 <<それ自体の性質>>−− と「思い込む」と大変な事です! あなたは 「一生出られない迷路の中に入って無明の中で惑う」こと になってしまいます。 (「机上の空論」を並べ立てるだけの「空理・空論」の人に堕してしまいます。) (注意)「自性」とは、「それ自体の性質」という意味ではありません! 生半可の知識のゆえに大誤解に陥っている人があなたではありませんか? 確かに、文献によっては 「自性=それ自体の性質」 と書かれている かもしれません。しかし、それは古い時代のものです。つまり・・・・ 部派仏教の時代には、「自性=それ自体の性質」と解釈して、何にでもその一つ一つに「自性がある」と考えた勢力が多数派でした。 (五位七十五法に自性を認める見解など)。 しかし、龍樹(ナーガルジュナ)の登場により、事態は一変します。 ほとんどすべてに、「自性がない」という主張が正しいということが主張され、これが仏教の真髄を語る論述だと広く認証されるようになります。 この両主張の「差」は何でしょうか? 答えは簡単です。−−−龍樹の登場により、「自性」概念が、部派仏教時代の意味から脱皮して、一気にレベル・アップ・深化した「自性」概念(内容)に「変化した」 のです! こうした ★「自性」概念の進化(深化)と変化(バージョン・アップ) という事実について しっかり認識することこそが、仏教を理解する重要ポイントだ、 ということになります。 ゆえに、「自性」に関する正しい理解は以下の通りです。−−− ≪ 「自」性 = 「我」 性 ≫ ※(我=アートマン ゆえに、我性=アートマン性) そして、「我」 と言える特徴として、「意思決定権」があります。 なぜなら、自分で意思決定できない主体は「我」があるとはいえませんから。 これをもう少し突っ込んで考察すると、 「我」があるといえるには、「他から左右されない独立した意思決定権」をもった、すなわち「主宰者」といえる性質が必要だ、ということになります。 そこで−−−−、 ≪ 「自」性 = 独立した「主宰者」性 = 活動「本体」性 ≫ 意思決定権をもって各種の意思決定を行う、「活動の本体」こそが、「独立した主宰者的性質」がある、と言えます。 つまり−−− <我の性質 ⇒ 我性 (アートマン性) ⇒ 自性(スヴァバーヴァ)> <自性(スヴァバーヴァ) ⇒ 独立した主宰者性 > だと理解しましょう。 これで、自性概念、恐れるに足りずです。 「独立した主宰者性」と「意思決定をする活動の本体」は同じものを指しています。 ★★「主宰者性」は「独立」「無依存」であることが必要です。★★ なぜなら、他に依存して、自分独自の意思決定ができない状態ならば、「主宰者的性質がある」とは全然言えなくなってしまうからです。それは「従属・依存した状態」です。 つまり、 「主宰者的性質」(スヴァバーヴァ)とは、依存的でない孤立無縁の独立性 と不可分である ということになります。 「依存的」といっても色々な形があるでしょうが、仏教の縁起思想は、主に、発生面で語られるものです。すなわち、「他に依存して、発生(生起)するもの」は、発生に関して、独立した主宰者性がありません。 ということで−−−、 <「独立した主宰者性」(スヴァバーヴァ)は、仏教の「縁起」概念の反対概念、という両者の位置関係にある>−−ということが自動的にわかります。(←これは超重要な認識ポイントです!) ■ 仏教は「無我の思想」と言います。これは、 ≪ 無我の思想 = 「我性の否定」 の思想 ≫ となります。 で、「我性の否定」って、どういうこと?? 簡単に言えば <「独立した主宰者的性質」の否定> の思想 ということです。これが真に分かれば、仏教が分かった、 ということになります。 ★ 自性概念 に関する更に深い、段階的な解説はこちらで御覧下さい。 |
| ★≪叡智のヨーガは単純な引き算≫−−と覚えて下さい。 表面的に膨張している・バブリーな「主体」の観念を 正しい分析によって、一つ一つ切り捨てて、「真の主体」に迫って行く技法−−そうしたものを一つ一つ、『これでもない、これでもない』、と引き算で選り分け、切り捨てて行きます。そうすると、最後に残るのは何ですか? それが太極の、本地の秘密主、宇宙の真の主体・真の主宰者。 「活動の本体、独立無依存の主宰者」です。 万物の根源神を信じる者にとって、その答えは既に見えているものですが、 <自覚的に根源神に「意識を近づけて行く」技法>−−−それが叡智のヨーガです。 ★ヒンドゥーのジュニァーナ・ヨーガ(叡智のヨーガ)について、仏陀(釈尊)が「活動の本体性(主宰者性)」と、その反対の意味である「無常性・虚仮性」という視点で、より深く掘り下げ、瞑想技法として大成した−−−それが仏法(仏教)である、と〜〜〜理解するのが正解です。 のちに、大乗仏教徒はヒンドゥーのジュニァーナ・ヨーガと区別して、 仏陀が大成した 「無常観を深く掘り下げた叡智のヨーガ」 のことを 「般若ヨーガ」と呼んだ、と理解しましょう。 それ故、大乗仏教における 「〜に自性がない」「〜は無自性である」 という言葉は、 <〜には(常恒不滅)無依存独立の活動主宰者性が無い> ↓↓ という言葉に代替しても、ほぼ同じ意味になります。 ⇒初心者はこの下の「入門和訳」を読誦してみましょう! ★また、「自性がない」 について、 『それ固有の主体性がない』 とか 『それ自体には真の主体性がない』 という言葉を代入したバージョンも提示しております。(こちらをクリック) ★ ただし、何といっても−−−『無自性の三無力』について全部しっかり表現したもの(空−7−159) が内容的には <最も正確な言い換え> −−−と言えます。 ★ 聖徳太子は 『世間虚仮・唯仏是真』 と申しました。 般若心経は 『諸法空相』 と教え、その反対に、 法華経は 『諸法実相』 と教えます。 これらの言葉を無理なく整合性を保ちながら完璧に理解できる−−−それが上記の日本語和訳です。読めば読むほど、その深さが分かって来るでしょう。禅の思想の中にも、相対界の万物を「(本仏の)衣」と理解するヴィジョンがあります。 |
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